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┏┏┏[2005-2-5]┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏
 「名古屋の不動産何でも相談室」がお送りする
 名古屋ビジネス情報  主宰 川津商事株式会社
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   テーマ: 栄商業エリア再開発構想

今回は弊社の意見告知として栄商業エリアの再開発構想を取り上げ させていただきます。

名古屋の商圏が閉鎖的であると見られるにはいくつかの理由がある。 名古屋の商圏の中で過当競争を避けたいという気質がその一つと考 える。その一方で、外に対しては名古屋の元気な企業は果敢に独自 の技術を開発して世界市場にチャレンジしている。

決して競争をヘジテートしているわけではない。しかし知らず知ら ずの間に地元の商圏においては無理な競争を望まず安定を標榜して いるところがある。特に成熟した市場においてこの特徴は見られよ う。

名古屋の貸しビル市場を見てみるとわかりやすい。名古屋の貸しビ ル市場は平均して7−9%で安定している。名古屋の不動産市場は 決して大きくない。大規模なビル施設が1つでも出来るとこの空室 率は大きくぶれる。

逆に東京などでは、市場が大きく多少の新規大型オフィスビルが出 来ても市場全体を動かすところまで行くには至らない。しかし名古 屋では実際には、たまにしか大きな商業ビルが建設されることがな く、結果的に安定した空室率となっている。

大きな空室率がでれば、それをどうにかしようとして競争が生じる。 空室率が大きければ大きいほど小手先の対処ではなく、大きな努 力・投資が要求される。競争により市場が活性化されれば市場自体 の魅力も上がる。市場では多少大きな空室が出て初めて市場のトレ ンドが大きく動く。これが市場のメカニズムである。

空室率の変動が安定してしまうと、大きな改善をするモチベーショ ンがなくなり、その安定に甘んじてしまう。結果的にパラダイムを 転換させるような改善が、市場の内部から起きることはなくなって しまう。

2000年にJR東海のセントラルタワーズが出来た時、正にその 現象がみられた。供給過剰が起きるのではないのかとマスコミが一 斉に取り上げた。しかし結果はセントラルタワーズかきっかけにな り名古屋駅前エリアが成長をし始めたのである。

名古屋の市場は決して東京、大阪、或いは外資の企業を排除してき たわけではない。安定を望む姿勢が知らず知らずの間に、外からの 参入がしにくい体質にしてしまっていたといえよう。

名古屋駅前エリアの成長はリテール部門において特に急成長をして いる。それは周辺の商圏からのパイを確実に奪い取っている。そし てその奪い取られている市場に栄エリアがある。

栄エリアは昔も今も東海地方随一の商業エリアである。しかし栄エ リアのリテール市場都心への回帰と言われながらも伸び悩んでいる。 その一つが前述のエリア間競争によるパイの争奪が始まったことで ある。栄は名古屋駅前エリアだけでなく、名城線環状沿線の新興エ リアとの競争にもさらされている。

そしてもう一つは、ここ数年栄エリアにインパクトのある外部参入 がないことである。松坂屋が増床したが、エリア市場を革新させる ほどのカンフル剤とはなり得なかった。3月には三越も増床するが、 栄エリアを復権させるほどの効果があるか未知数である。

それに加え、デパートの売上が、コンビニその他の大型スーパー、 専門店の成長におされている。全国レベルでコンビニの売上がデパ ートの売上に肉薄している。流通商業市場がダイナミックの変化し ている中で、栄エリアがデパートだけを核としているとしたら、そ れは将来に対して非常に大きなリスクとなる。

最近の大規模商業施設の多くは、右肩上がりを前提とした事業計画 を持っている。たとえ5%、10%下がっただけでも、資産評価が下 がり存続の危機にさらされる。栄の商業エリアの動向は、名古屋だ けでなく東海地方のパフォーマンスをも左右することになる。

栄エリアにも問題がないわけではない。エリアが東西南北に広がり すぎてしまっている。そしてその核となる久屋大通り公園が非常に 老朽化して、栄エリアを分断してしまっている。バリアフリーのコ ンセプトもまだないときの構造をしている。

都心部にこれだけのユーティリティースペースをもった都市は、世 界中を探しても非常に価値がある。比べれるのはマンハッタンのセ ントラルパーク、ロンドンのハイドパーク、パリのシャンゼリーゼ 通りなどであろう。

久屋大通り公園が日本を代表する栄エリアのアメニティーを創造し、 さら商業エリアとして日本の商業のリーダーとなりうるような「広 場」に再構築する時期に来ている。

話題を発信しながら 一つの商店街、或いは地方の事業ではなく、 国家レベルの事業として話題を情報発信しながら、世界レベルのコ ンペを導入し、英知を集め、栄エリアの再開発ひいては名古屋の市 場の再開発を提案するものである。

久屋大通り公園の歴史
昭和21年 名古屋市復興事業起工式
  24年 久屋大通の整地工事開始
  29年 TV塔建設
  42年 久屋通り公園建設開始
  53年 ロサンゼルス広場完成
  57年 セントラルブリッジ完成
平成 3年NHK名古屋放送センターオープン
   4年愛知県芸術文化センターオープン
  14年オアシス21オープン
規模 幅員約70m 延長約2km 公園面積11.18ha

弊社関連サイト
http://www.kawatu.co.jp/nagoya/topic2/sakae2.pdf


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