ニュースレター

主筆:川津昌作
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論壇、少子化人口減少問題

〈2022年7月1日〉

短期間で梅雨が明けてしまった。これで今年の甚大な水災害が終わ ったわけではないだろう。油断が一番のリスクかもしれない。

久方ぶりに、表題のこの問題を議論しよう。この問題に関する論壇 も最近、ようやく大きく変わってきたといえる。以前のような子供 の出生率のみを議論の原点とし「なぜ女性が子供を産まないの だ。」と言う表現は論壇から消えた。

代わって、子供を持つ様々な社会負担を問題点とする議論が増えつ つある。弊社では、以前2020年に若者世代の「フェミニスト・ム ーブメント」としてこの問題を議論展開してきた。 https://www.kawatu.co.jp/nagoya/kwf/kwf859.html

つまり人として人生を全うする過程で、人生の幸せを実現するため の方法が、無償の愛で子供を産むことによる幸せより、自分に投資 をして自分だけで幸せになることを優先した方が、幸せ実現の生産 性が高いという考え方が社会で顕在化してきた。と言う議論であ る。

これは、経済学的な比較で言えば子供を産み人生の幸せを実現する コストと、自分に投資をして人生の幸せを実現するコストと、その 結果であるしあわせ量の比較である。残念なことに費用対効果の議 論で子供を産む選択肢が弱い立場になってしまっているわけだ。

この費用対効果の本質的問題は、必ずしも自分投資による幸せ量が 最近急に上昇したわけではない。むしろ子供をもつリスクが高くな り、育児のコストが格段に上昇したことによる。つまり少子人口減 少の問題は、子育てが、リスクがあり過ぎる社会になってしまって いることにある。

そこで現在、論壇の議論も育児のサポートが少子化対策の中心議論 となっている。しかし実際の施策は、保育所待機児童の減少対策、 育児手当、児童手当等子育てコストの問題しか議論されていない。 それも政権の交代で目まぐるしく変わる、信頼性のないものでしか ない。

このように、既に金銭面での育児対策が必要なことは多くの支持を 得られたものとなっているが、俯瞰するに少子人口減少社会改善に 有効な補助金政策が機能しているとはいいがたい。施策が陳腐で、 遅すぎる。

何が金銭的な施策として有効なのか?は議論を他に譲るとして、当 ニュースレターでは、さらに先の社会デザインともいうべきトレン ドづくり、慣習、規範、制度論の議論に進みたい。

まず議論すべきは、育児の生産性をエンハンスする様々な金銭的補 助などの施策でネックになるのが、現行の「結婚」制度との齟齬で ある。結婚の晩年化、一生結婚しない人の増加等、結婚という慣習 制度の息苦しさ等々から、明らかに社会の中で結婚と言う概念の意 味合いが低下しつつある。

にもかかわらず「出産・育児は戸籍上の男女の結婚を前提」とした 制度論でしか正当化されていない。離婚の増加など、男女の結婚制 度自体が社会で行き場をなくしているにもかかわらず、それを前提 の育児政策しか成り立たない考え自体がお粗末だろう。

これがいいのか悪いのかは筆者もわからないが、もし育児のコスト 問題を考え、少子化を解決するならば、今社会でネックとなってい る「男女の結婚制度を前提とした子供」による障害の解決を議論す べきだろう。

戸籍上の男女の結婚制度に収まらない育児、離婚により結婚システ ムから離脱した育児の在り方を、社会の多様性論議から見直すこと が必要となる。戸籍上の結婚制度意外とは、婚外子、離婚、トンラ ンスジェンダーだけでなく移民問題もふくめ、様々な多様性社会で の出産育児に寛容な社会の実現である。

完全に煮詰まってしまっている企業文化も見直す必要がある。名ば かりの育児休暇をうたい、有効に機能しない制度だ。子育て側から 見れば、社会に子育てのインキュベーターシステムがない以上、所 属する企業の有給育児制度を利用して子供を産もうとする考えは、 当然利用されるべき制度である。

社会に育児のデザインができていない以上、社会の核である企業が 社会貢献として育児に貢献することは、他の社会貢献よりも実効性 があるはずだ。ただしそのためには、この企業活動を社会的に評価 する仕組みが必要になる。

税制優遇があってもいいはずだ。企業が現時点で何人の育児休暇を 支援しているというデータを公表してもいいのではないだろうか? 企業が避けたい制度ではなく、喜んで取り組みたくなる環境づくり が必要になる。

都市管理者の意識も大きく変わる必要がある。ニューヨークマンハ ッタンの6番街ミッドタウンのビジネス街の朝の風景を見てほし い。おなかの大きな妊婦が歩いている。日本人の発想では、近くに 大きな病院でもあるのかなと振り返ってしまう。

NYのビジネスパースンが、おなかが大きくなってもビジネス街の 中心地に普通に通勤できる都市構造だ。日本の丸の内に、中央線に 乗っておなかの大きな妊婦が朝のラッシュ時に通勤可能だろうか?

乗車率200%の満員列車に、おなかが大きな妊婦がいたら、ほぼ間 違いがなくパニックになるだろう。「なんでこんな満員電車に妊婦 なんかが乗るんだ。」とばかりに怒号が飛び交うかもしれない。

地下鉄丸の内駅とJR東京駅をつなぐ通路の朝の人の流れは、社会 主義国のどの軍事パレードより一糸乱れぬ行軍風景だ。そこに通勤 に不慣れな医療的弱者、通勤行軍になじまない非正規、道に不案内 な田舎者が紛れ込めば、やはりパニックだ。社会のアクセサビリテ ィ―の許容度がない世界だ。

こんな都市風景を、世界に誇れる都市だとばかりに、どや顔してい る都市管理者の考えを変える必要があるだろう。日本では社会の勝 者になるためのキーワードが「東京」である。東京で成功すること が勝者の証である。であるならば当然「東京」と言う概念も見直す 必要があるだろう。

ただし東京の名誉のために追記すれば、すべてではないが、地方の 貧乏市町村に比べればはるかに育児サポート制度は充実している。 小学校に障害者の枠が必ず設けられているとか、教員の育児休暇の 取りやすさ等々すべてを上げることはできないが特筆できる。ただ それだけでは追っつかない。

資本主義の限られた勝者になるための唯一の手段が「東京」であ り、東京デファクトスタンダードが要求するキャリア、人生スタイ ル、就業スタイルを受け入れなければ、勝者にはなれないという概 念は持続性あるのだろうか。

今の若い世代の価値観は、18世紀のイギリスで産業革命が起きた 時の唯物史観論に似ている。唯物史観論とは産業革命の進化で新し い財物が増産され、それが社会を豊かにするという考えが蔓延する 中で、自分たちの価値観も物の価値観に大きく左右される考え方 だ。

現代版で焼き直せば、資本主義の過度な競争原理により、一部の勝 者に属することが、人生の幸せ実現の価値観の尺度となっているの と同じ現象である。その勝者になるための器が東京となっている。

昔であれば、例えば社会的ステータスとは一代でなせるものではな く、何世代にも渡る世襲の中でしか勝者である名家は生まれなかっ た。いうなれば家系の勝者である。家系であるからおのずと子育て に親兄弟祖父母が参画し、生産年齢対象者の社会でのキャリアアッ プを支援できた。

しかし、今の時代、名家は評価されず、自分だけでキャリアアップ し、自分の人生の範囲内で社会的ステータスを上げた勝者が評価さ れる。自分だけの「勝者唯物論」に陥ってしまっている。

そのためには、出産育児は障害でしかない。現在の勝者史観は、自 分の人生と言う時間軸だけでの概念である。こういった考え方が自 分が大事のフェミニズム・ムーブメントとなっている。そしてその 集合体が東京概念である。

東京で成功を勝ち取れない、敗者である低所得者は、子供の育児に コストをかけることができない。結果的に子供も勝者になれないリ スクが高くなる。それ以上に勝者の子供で育児に高いコストを駆け られても成功するとは限らない。東大を出ても意に沿わない人生観 に陥るケースもあるだろう。子供にとっても自由度がなさすぎる。

今、唯物史観ならぬ「勝者史観」の行き過ぎを乗り越えた、新しい 精神価値論の登場が必要になるのではないだろうか?

最後に最も改善されなくてならない分野が教育制度だろう。かつ て、中国の最高指導者習近平が学習塾を批判した。日本ではこれを 何を的違いなことを言っていると馬鹿にした論壇が多かった。

しかし現実に日本においては、塾に行くことが子供のキャリア形成 に必要不可欠であり、その一方で塾に行けることが格差の象徴とな っている。

高額な塾で教育を受けさせられない低所得の家計では、そもそも子 供の高いキャリアを期待することができず、やがてまた社会の低所 得者層に陥りやすいというリスクが明らかだ。

子供を産んでも、就職もできず、結婚もできず、中高年になっても 親の所得を頼って生きていかなくてはならないリスクが想定される 段階で出産、育児はその人生計画から外れる。フェミニスト・ムー ブメントになる。

もし塾が格差社会の象徴で、子育て、人生設計の生産性の障害にな っているのなら、塾と教育制度を融合させたらいいだろう。しかし こういえば必ず古参の教育論者の精神論、道徳論の横やりが入る。

教育改革を一切受け入れず居座る教育有識者は、ある意味岩盤利権 の亡者でしかない。今の教育制度が育児、子育ての障害になってい るのであれば、抜本的改革が必要である。その改革は既存の教育イ シュタブリッシュメントを除外した人たちに任せる必要がある。

まとめると、現在社会では、子育てムーブメントより「フェミニス ト・ムーブメント」が優勢である。これは「勝者史観論」のなせる 業である。この勝者史観論を超える社会デザインが求められるわけ だ。

新しい社会のデザインは、「東京」「結婚制度」「企業」「教育制度」 などの改革を要求するだろう。そのための新しい精神価値論を考え る論壇が必要になる。

民主主義が陥りやすい罠は、議論が煮詰まって止まってしまう事で ある。将棋でも千日手になった場合は総入れ替えでやり直す。議論 が止まっている場合は、人を入れ替えてでも議論を前に進める必要 があると考える。

以上

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