ニュースレター

主筆:川津昌作
名古屋の不動産何でも相談室がお送りする、不動産・ビジネスに関するニュースレター「名古屋ビジネス情報」へのご登録ありがとうございます。
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特記事項 弊社ニュースレターは、弊社の関係者及びお得意様に限定して、不動産ビジネスを行う上で注目すべきテーマをタイムリーに取り上げ、問題点を共有する為の ワーキングペーパーであります。公的機関を含む他のセクターへの提言、請願、上奏、不特定多数への拡散を目的としたものではありません。転用を禁止します。 取り上げる内容については、成熟した定説を取り上げるのではなく、早熟なテーマを取り上げるため、後から検証すると拙速な結論になってしまっていることもあります。 そう言った事を十分にご理解したうえで、ご参考にしていただきますようお願い申し上げます。

2021-2022年末年始特別号

〈2021年12月25日〉

今年も一年弊社ニュースレターをご利用いただきましてありがとう ございました。今年一年のニュースレターを総括すると「エネルギ ー問題」「コロナ禍公衆衛生問題」「固定資産税問題」「新資本主 義」「情報革命」「インフレ」と大まかに6個のキーワードに分けら れます。順に総括していきます。まず前置きとして一番重要な名古 屋から始めます。

*名古屋

地元でビジネスをしている以上、地元行政について言及するべきで はない。が、言えることは名城線の環状化(2004)以来大きな社会 資本投資がなされていない点だ。スポーツのアジア大会、G7の誘 致などはすべてイベントでしかない。

都市は経済、生活の器である。「新規ビジネスは新規器を求める。」 これは弊社の格言であるが、不動産投資市場のようにセイの法則に 支配された市場では、新規供給なくして新規需要は生まれない。

名古屋駅前に続いて栄でも大型再開発が始まっている。これらを名 古屋経済圏にとって実効性あるものにするためには、社会資本整備 が欠かせられない。

都市間新交通システム(鉄道)、新再生エネルギーシステム(新モ バイル)、災害対策システム・・・いくらでも将来に対する投資は ある。県政、市政の連携が要求されるべきだ。

名古屋地域金融の再編が始まっている。愛知銀行と中京銀行であ る。不動産投資市場の立場から言えば、ゲームチェンジが起きてい る。不動産投資の出し手がREIT、不動産私募ファンドになってい る。

名古屋の不動産市場でファンド市場が成長するためには、ベンチマ ークとなる名古屋に特化した上場REITが必要になる。名古屋から スポンサー企業のなり手の登場が望まれる。

*再生エネルギー問題

当ニュースレターでは意識的に太陽光など再生エネルギーへの変換 を是とするポジションをとって論じてきた。それに対して一部では ありましたがお叱りもいただきもしました。現状従来の化石燃料事 業、或いはある意味迂回的な新エネルギーである天然ガス事業の実 業からくる抵抗が強く感じられたわけです。

反対意見の多くが、太陽光などの生成エネルギー効率性、制度設計 問題にポイントがあった。もちろんこれは、ご指摘通り今後もっと 大幅な改善、技術革新がなされる前提であります。

筆者のエネルギー政策の論点のポイントには、原子力エネルギー開 発の肯定がある。原子力エネルギーはまだまだ多くの可能性を秘め ており、現実に存在する大きなエネルギーでもあり、これを利用し ない手はない。さらに進んだ研究を進めるべきと考える。

しかしこれと、既存の原子力パワープラント、原子力エネルギー政 策を肯定する事とは別問題だ。既存の原子力エネルギー政策は時代 遅れの、拙速な結論に基づくものである。施設の技術基準、安全運 転基準において地震災害などを考慮できていない。将来に対するリ スクを過小評価している。

「既存の原発設備にも良し悪しがあるはずだ。それを古い考えで作 られたから皆ダメ。と言うのはあまりにも乱暴すぎる。かえって経 済効率が悪すぎる。」とお叱りを受けるだろう。

しかしお叱りを承知で言えば、既存の原発施設に関しては国民に対 して極めて情報の非対称の関係にある点、従来の設置運営に携わっ た人達によるリスク評価に基づく将来評価のほうが乱暴すぎるだろ う。現実に事故が起きた時の始末がお粗末すぎる。国が最終責任を 取りたくないものはやめるより仕方がない。

目先のコストにとらわれず、既存の施設は原則エネルギー発電稼働 廃止の上で、将来の研究保管施設に転換せざるを得ないだろう。グ リーンエネルギーへの移行まで迂回は、効率の良い天然ガスを利用 するしかないが、この迂回も最小限に抑えて明確な再生エネルギー ビジョンを示すべき考える。

エネルギーミックス政策と言う考えがある。原子力、化石燃料を廃 止し再生エネルギーに限定するのではなく、最適なミックスするエ ネルギー政策である。これだけは反対である。変わるチャンスに変 われないと、変わるチャンスをなくす。

ただし単に既存の原子力施設を否定するだけでは、株式会社電力会 社が維持できない。旧施設と言う負を抱えながら、新興の再エネ電 力会社との競争はできない。企業的には施設を帳簿上償却させて、 分離独立させるべきだろう。それを原子力研究基金として運用させ るしかない。

難しい問題であるが、既存の電力会社に原子力発電の停止維持処理 と、将来の新エネルギー供給システム業務の中核を同時に担わすこ とは不可能である。一方で収益を廃炉処理に投入しながら他方で、 電力自由化による市場競争をすることはできない。

結果的に、日本のエネルギー政策は後手に回り、効率的なエネルギ ー供給の市場デザインは描けなくなる。問題は、国が廃炉業務・コ ストを担うことに拒絶反応を示していることにある。どのような形 態であれ、これからのエネルギー戦略に必要な市場性がある電力供 給システムには、廃炉を処理する負担は分離さざるを得ないと考え る。

いずれにしても、効率性、市場性、過去の失策等多くの問題を抱え てはいるが太陽光、風力などのグリーン再生エネルギーへの転換を 明確にしめし、技術革新を生む必要があると考える。そのための市 場デザインが必要になる。

懸念されることは、エネルギー関連の大規模なサプライショックが 近い将来生じ、世界経済を混乱に陥れるリスクがあることだ。一般 消費財の市場の失敗ではなく、インフラ市場の失敗である。

エネルギー問題が盛んに議論されることはいいことだが、エネルギ ー問題は気象変動の一つの要因でしかない。一方で、1.5度の上昇 はすでに避けられない状況で、災害が甚大化している。災害の現場 の議論がもっと徹底されるべきだろう。

特に、阪神大震災、東日本大震災、さらに幾多の水害を短期間に経 験を重ねて、罹災に関する考え方も変わってきている。司法の場、 学会などで、最近管理者責任が多義にわたり広く問われ始めている 様子がうかがわれる。

端的な例が、河川管理者等直接的な責任だけでなく、学童を適切に 避難させたかどうか?である。東日本大震災の場合、学校管理者が どれだけ気象知識を持って、正しい判断がなされたかを問われた。

つまり想定外の誰も手に付けられない災害で責任を負えない議論で は済まされなくなってきている。特に学会などでも指摘されている のがハザードマップの有効性である。不動産関係者であれば知って いることであるが、ハザードマップと地価の関係が全く起きていな い。

市場が現況のハザードマップを受け入れていないことになる。現況 ハザードマップは行政の立場で作られており、現在の住民、使い手 の立場で作られていない。これが学会有識者からの意見である。こ の点、行政は、ハザードマップが正しく理解されていないという間 違った認識をしている。

災害が甚大化する中で最初に作られた情報ではあるが、やはり情報 の作成手順に批判があり、今後さらに進化する必要がある。そこで 現在進んでいるのが「災害頻度情報」である。実際起きた災害に対 しては地価などの経済指標の反応は極めて高い。

もう一つ、災害経験の蓄積が進む中で「危険なところに住まない」 と言う議論が高まっている。これに関して2つの問題がある。一つ は「危難なところにすまない。」ムーブメント起きても、それに参 加しない人が出てくる。これをどう少なくするか?

すでに危険なところに、多く人が集積してしまっている。これをど う救済するか?である。強制保険に加入させる等の考えも大きくな ってきている。もう一つは固定資産税を高くして市場原理で移転を 進めるなど考えが学会でも議論されている。

もう台頭してきた重要な概念が「逃げる」である。東京でも、都心 でもどこでも、最後は逃げることが求められる。そうなると逃げる ときの行動指針、心構え、逃げる避難訓練などが必要になる。今後 の災害現場重要な議論で重要な位置を占めるだろう。

「災害が起きないようにインフラを全て作り変える。」「災害を被っ た全員を救う補償する。」ことは、今後日本ではできない。国から の施しには限りがある。その中で自分たちが何をしなければならな いかが問われている。

*コビット19禍、公衆衛生参加問題

既存の安易な化石燃料エネルギー、エネルギー効率の良い天然ガス エネルギー、現時点で効率の悪い再生エネルギー、どれに皆が市場 参加するか?これが問題だ。変化に対応できず従来の化石燃料に固 執すれば、新しい革新は生まれない。独裁社会主義であればだれか が決めればいいが、市場民主主義では民主的に市場にゆだねる。

「危険なところにすまない」とみんなで決めても、俺はいやだよと 言う人が出てくる。全員が参加で危険なところに住まないことが、 被害最小効果を左右させる。同じ問題が今回のコビット19禍で公 衆衛生のマスク、ワクチン問題で社会問題として顕在化した。

民主主義では、どうしても参加できない人に対して、参加できるよ うに最善の努力を要する。何もせず参加できない人を非難すること はできない。効率が悪くても、時には障害を乗り越える援助も必要 になる。

何もせず多数決で、反対の立場、参加できない弱者を一方的に切り 捨てるのは本来の民主主義ではない。しかしこの努力には時間がか かり、民主主義は非常に効率が悪い。そこで社会主義などの効率性 と比較されてしまう。民主主義はフリーランチではない。努力と言 う多大なコストが大前提である。それを抜きに他のイデオロギーと 単純な効率性だけの比較は間違っている。

日本の古い歴史を見る限り、国が全面的に施しをするケースは、一 揆などの国体にリスクがあるとき以外はあまり見られない。江戸幕 府のような徳川独裁政権でも、村、超レベルで飢饉に対する施しが なされてきた。それでも逃げなかった。

日本は、陸続きの大陸のように逃げる場所がなかった。島国でどこ にも逃げ出せない制約の中で、どのように自己責任・リスク回避を 完結するか?を突き詰めてきた。これが日本的民主義のもう一方の 特徴ではないだろうか?その日本で逃げる概念が台頭してきた意味 は大きい。

*固定資産税問題

今年弊社が独自に取り上げた問題ではあるが、時を同じくして、資 産評価政策学会などでも、中心テーマにしたシンポジュウムが開催 されるなど、大きな社会問題化している。

国策および地方自治に必要な予算がきまり、それに対する税収が求 められる。それをいかに不満のない公平、平等かつ効率よく徴収す ることが求められる。公平平等と言う概念は、社会文化そのもので あり、時代とともに移り変わる。国策と言えどもこれら社会ニーズ に応える必要がある。

上記エネルギー問題で言及したが、固定資産税に対する社会ニーズ が多義に広がろうとしている。時代の要求に通用しない旧時代の家 屋積算価格算定方式だけを根拠に維持できる税制システムではない ことは明らかである。

租税コストをかけずに効率的にという問題を解決するためには、不 動産ID情報のデジタル化、様々なニーズのAI化が必要になる。 マンション市場価格の市場データからの推定ですでにネット 上でほぼ公開されている状況だ。

土地価格も、市場インデックスなどの運用で、信頼のあるモデル式 が運用されている。ヘドニック、セールスリピート、取引事例法が 学会でも確立している。課税評価額ができないわけがなく、むしろ モデル式、係数の公表により説明責任はより明確になる。

日本の資産評価で市場性が反映できない原因の一つに、土地と家屋 が別の評価方式である点にあるという学会有識者の指摘がある。海 外では、住宅と言えば土地と家屋を一体で評価する。そこに初めて 市場性が出てくる。

固定資産税評価に限らず、不動産ID情報の整備はすでに目の前ま で来ている。来てはいるが様々抵抗勢力があり、まだまだ時間がか かる。しかし日本の社会の仕組みを考えると、これら情報のデジタ ル化に時間をかければかけるほど社会便益は遠のく。

ニュースレターで何度も取り上げたが、現在の不動産流通ビジネス は不動産ID情報目論見書作成業務であり、ビジネスの報酬は作成 業務の手数料である。アセットビジネス、プロパティマネジメント の報酬ではない。これらの報酬はコンサルタントとみなされ日本的 サービスの一環とみなされてきた。不動産投資市場のデザインがで きていない。

将来的には、不動産ID情報目録管理業務と不動産投資ビジネス は、高度分化する必要があろう。地域単位でも住宅履歴ID情報の 整備を実勢している報告などが多くなってきている。様々な面で不 動産ID情報の整備が市場を活性化させる期待が大きい。

筆者の考えでは、固定資産税をすべて申告税にすべきと考える。申 告による不動産資産の建築ID情報がそこで作成され、その後の履 歴として都度申告されれば、それが体系されすべての不動産ID情 報の集大成が出来上がるのではないか?有効な不動産ID情報のス タートがないのに履歴は残らない。

これら諸問題の一番の抵抗勢力が縦割り行政システムであり、高齢 化した政治である。しかし、現在の日本の不動産登記制度は世界で もまれにみる精度が高い。このような制度を作ったのも日本の行政 である。大いに期待したい。

*新資本主義

お金にはフローとストックがある。商いで取引を行う度に所得する フローと、取引をするたびに蓄積されるストックがある。ところが ストックにはお金だけでなく様々な価値もストックとして蓄積され る。

例えば銀座と言うブランドエリアでは、他のエリアより人が集ま り、多くの商いが成立する。商いが成立すると、お金がフローする だけでなく、取引が成立したそのエリアと言う器にも価値が蓄積す る。他のエリアより多くの商いが成立する銀座は、蓄積する価値が 大きくそれがブランド価値となる。

株式会社にも当然商いによってフローする資金と、会社と言う器に ストックする価値がある。例えば企業買収で、企業が所有する資産 の帳簿価格の合計額より高い価格評価で売買がされた時、その差額 が含み益となり、それもその器(会社)に蓄積された価値である。

この蓄積された資本力に物言わせて市場を支配し、自社に都合のい い価格を設定し、自社に都合のいいスタンダードを設定し、利益を 独占できる商品を開発し、他を排除するビジネスモデルを展開する。その結 果高い資本収益の成長を実現する。これが資本主義である。

資本主義では、資本を用意し、資本に物を言わせて市場に参加する ものに成長を約束した。このビジネスモデルの成長に多くの者が群 がり、資本主義を信じ、信奉した。第二次世界大戦後世界中の先進 国の市場が拡大し、世界中に市場を拡大したグローバリズムが確立 する過程が、資本主義の繁栄期であった。

しかし、列強ヨーロッパ、北米、日本だけでなく、東欧、南米、ア ジア、そしてアフリカへ最新の携帯電話が行き渡り、ネットがつな がり、ハイソサエティの商品が世界中に行き渡った。

グローバルスタンダードが行き渡り、新規に支配する市場が少なく なり、成長の余地がなくなると、収益率が悪化し始めた。それでも 資本収益率は依然として高かった。資産の収益率ではなく、資本収 益率が高くなるビジネスモデルが進化した。

ブランド戦略が進化し、ブランド力が市場を支配するようになり、 金融工学で非常に高いレバレッジモデルの金融商品が開発された。 その結果、資本主義の新規市場開拓の限界による資産収益率の低減 する一方で、これらの戦略ビジネスモデルにより資本収益率は高 く、格差が拡大した。これがトマ・ピケッティの新資本論の世界で ある。

西側資本主義国の成長収益率が落ちるのをはた目に、中国の共産主 義社会が成長し続けている。社会主義、共産主義の中心的イデオロ ギーがマルクス主義である。

マルクス主義は、人の労働こそすべての価値創造の源であるとし た。したがって資本家が得る余剰所得いわゆる資本の成長は不労所 得であり、すべて労働者に還元されなくてはならない。この還元が 革命、解放をとおしてなされるというのが共産主義の考えである。

勘違いしていけないのは、共産主義が、資本が儲けることを否定し ているのではない。資本家が得る利益は不労所得であり、すべての 価値のみなもとである労働に帰属すると言っているのであって、共 産主義下でも資本が成長して儲けることを前提としている。

経済の成長要素には学者が説明するように、投入する労働、資本、 その他の技術革新がある。その中でも資本投資の成長は、どの世界 でも新たな市場の略奪・開拓・創造支配によってもたらされる。自 国と言う国内で成長が限界に達すると、当然外の市場を支配する必 要がある。

ソ連では、マルクスに帝国主義のレーニンを合わせて帝国主義を実 践した。マルクス・レーニン主義によるソビエト帝国主義であっ た。つまり周辺への拡大帝国形成主義である。アメリカとソ連の冷 戦はまさに、この二つの帝国主義の衝突であった。

そして今中国は、国内の市場成長を終えて、「一帯一路」政策で帝 国政策を戦略的に実践している。この「一帯一路」政策が機能する 限り中国は成長が約束されている。

今年の弊社のニュースレターでは、織田信長、豊臣秀吉時代の戦国 時の略奪(市場拡大)経済が国内統一によって限界に達し、更に朝 鮮半島に拡大を求めたが半ばで中断した。と同時に戦国時代の成長 モデルが終焉を迎えた。

次の徳川家康の天下統一時代の幕藩体制なると、略奪拡大成長はな くなり、一族独裁による内生再生経済で250年余りの長期にわたり 繁栄を誇った世界に類も見ない時代を紹介した。

幕藩体制は徳川一族による独裁専制国家であったが、それは共産主 義との比較を肯定するものではない。効率よく内生経済に転換でき たことは独裁専制のなせる業かもしれないが、徳川が維持できた要 因はむしろ内生経済成長の成果であった。

現在のグローバル経済も、世界中の市場を食い尽くし新たな市場の 開拓余地をなくした。新たに極東か、宇宙を開発するしかない状況 にある。新規市場を獲得できなければ低成長に甘んじる。これに対 する答えが内生再生政策である。

戦国時代の山城を捨て、河川流域の沖積層エリアに城、居住エリア を形成し、農業生産の拡大など、内生的成長をなした。徳川家康に 重用された藤堂高虎は城づくりの大棟梁として有名であるが、彼の 真骨頂は河川流域に城、街を形成して、内生経済の器である新しい 城下町を作ったところにある。

それが当時の三重県の津藩の街並みである。彼の名誉こそが、当時 の内生再生経済の成功の証である。

前アメリカ大統領トランプもTPPを蹴って、内生経済再生に走っ た。反グローバリズムとして西側諸国の反感を買ったが、しかしそ の後もアメリカが目指すところは従来のグローバル経済、ブロック 自由経済圏による囲い込みではない。

この状況を、アメリカの弱体化と断罪した論壇ばかりだ。しかしこ れはアメリカが時代に逆行しているのではないと考える。そもそも 「内生再生志向vsグローバリズム」、「内生再生=ポピュリズム」 の考えがおかしいだろう。

グローバリズムが行き場を失い、低成長に陥った。グローバリズム の過当競争によって、格差が広がり荒廃した内生経済をもう一度立 てなおして、新しいバージョンアップした自由で開かれたグローバ リズムを形成しなおす。理にかなっているトレンドだ。

従来のグローバリゼーションの過度に求める効率性、最適性によ り、日本国内を見ても、地方をはじめ荒廃したエリアが全国に放置 されている。一方過度に密集・集積した東京一極も限界に達し、か えって効率を落としてしまっている。これが資本主義社会の現状 だ。

国内投資、国内イノベーションを通じて、もう一度国内経済を再生 することは、反グローバリズムでもなければ、反資本主義でもな い。内生経済志向は再度効率のいい資本主義に挑戦するためのバー ジョンアップである。まさに新資本主義へのステップである。

*情報・モバイル革命

IT、デジタル化、AIと一連の情報革命の真っただ中ある。この技 術の変遷を見ることができるのは、ある意味幸せかもしれない。し かし革命という言葉が大きな誤解を生んでしまっている。一夜にし て突然世の中の景色が変わってしまうシンギュラリティ(技術的特 異点)が起きているような錯覚である。

18世紀イギリスで起きた産業革命は、約3四半世紀70-80年の期 間を要している。この期間は、生産労働世代の2-3世代分の時間に 相当する。つまりシンギュラリティではなく、3世代の人生を通し て起きた歴史大ロマンである。

余談になるが、名古屋西区栄生にあるトヨタ産業技術記念館には織 物の織機の歴史が展示されている。その歴史こそが産業革命の歴史 であり、17世紀から19世紀に至る歴史叙事詩の大ロマンである。 ぜひ観覧されることをお勧めする。

産業革命では、自動化・機械化が進む中で、それまでの熟練工が職 を失うことになる。ロンドンの町中に失業者があふれ、一部の富を 得る貴族・ジェントリー階級とその他の格差が拡大して、劣化した 下層社会のイメージがロンドンの荒廃を象徴する時代でもあった。

失業者は、新たな職に就くことができず、その家計は下層社会に陥 る。さらに、所得を失った世帯の子供は、新たな進学をするチャン スも得られなくなり、街にたむろする。下層に停滞する世帯で町が あふれ出す。そしてその次の子供の社会になると新しい職種が増え だし、その職につけたものから所得が改善しだす。この間が3世代 約70−80年である。

現在の情報革命においても、自動化、IT化、AI化によって職を失 う、もしくは正社員でなくなるケースが現実にある。しかし残念な ことに彼らが情報革命によって新しい職に就ける保証はなく、失業 するリスクが高い。

英産業革命が進むと、機械化によって機械を操作する新しい熟練工 が登場する。残念なことに彼らは従来の手作業時代の熟練工ではな い。この新しい職が拡大して彼らの所得が拡大することが、経済が 立ち直り、社会が再生していくことに気が付いたイギリスは、産業 命を推し進め従来の手作業による熟練工に見切りをつける。

一方で、この産業革命により失業し没落する旧熟練工に寄り添い、 機械化にブレーキをかける社会トレンドが生まれる。歴史に名を遺 す「ダッライド運動」と呼ばれる、機械を破壊し機械化・自動化に あがない、旧熟練工に寄り添う国家である。

これらの国家では産業革命が遅れることになる。つまりイギリス は、消え去る旧熟練工に寄り添うのではなく、社会の下層世帯が一 時的に増えても、新しい熟練工に寄り添うことによって産業革命を 成就させた。これがイギリスで産業革命が起き、200年たってもそ の栄誉を称えられる誉を勝ち取った所以である。

アメリカのトランプは、ラストベルトと言われる旧熟練工階層に寄 り添い、資本主義の自由化に反旗を翻した。おかしいだろう。前述 で内生経済に目を向けだしたトランプを称賛し、ここでは没落する 熟練工に寄り添うトランプを批判する。

つまりアメリカの内生再生化トレンドは、まだどちらに向かうかわ かっていなわけだ。内生再生で再度資本主義を目指すのか、単にダ ッライド運動を行い、没落熟練工に寄り添うポピュリズムの象徴な のか?

情報革命が2000年以降とすると、まだ20年である。今後モバイル 革命で自動車、ロボットによる自動化が進めば、向こう50年にわ たり、さらに多くの職がなくなることは明らかである。

日本の新資本主義政策、情報革命・モバイル革命政策も新しい熟練 労働に寄り添うスタンスこそが時代を前に進める。その一方で失業 者の世帯が70年にわたり低迷するのではなく、速やかに再生され 新規熟練労働に参加できる道筋をつけるべきである。そのためは、 に終身雇用制などは課しなければならない古い概念がある。

それが内生産業の再生の大義になろう。そしてそれが地方再生につ ながれば日本経済の再生にもつながる。こういったバージョンアッ プをしたうえでグローバル資本市場への再チャレンジをするべきで ある。

*インフレ

インフレ懸念ではなく、欧米ではすでにインフレ状態になってい る。インフレになるかどうかではなく、どのようなインフレになる かが議論の争点である。

それでも、日本では賃金の罠に陥り、賃金が上がらない。その影響 で物価も依然低い。金利が下がり0になる状況を「金利の罠」と称 して、様々な低金利の弊害を説明してきた。同じように低「賃金の 罠」にはまったようだ。

欧米ではコビット19禍で多くの労働者が職を失った。しかし彼ら はポストコビット19禍で人手不足に直面し、一気に賃金を押し上 げた。これが現在の欧米の物価上場の要因となっている。日本は逆 である。

コビット19禍で正社員が守られた。その分アフターの今、賃金が 据え送られている。上がる様子がない。日本では、正社員は企業に とって長期債務のような存在になってしまったといわれる。賃金を 上げると将来の債務が増加する感があり、どうしても賃金を上げら れない感覚に陥っている。

いっそのこと正社員をすべて「非組」にしてはどうか?逆に非正規 を新しくすべて組合に加盟させる。革命が起きるだろう。いろんな 研究では、経済にいい効果をもたらす賃金上昇は、パートなど非正 規の賃金と介護をはじめ新規分野の賃金だそうだ。

もちろん正社員をすべて非組にするなんてと異論が出るだろうが、 ではもっと柔軟に賃金を変動させるべきだろう。日本の問題は目の 前の選択肢の行使もしくは代替案を行使するリスクを取れないこと にある。

新規分野の賃金上昇は上述の産業革命効果がある。非正規の賃金上 昇は一番消費経済に大きな波及効果があるとされている。いずれに しても、市場が罠から脱して健全に機能すれば良いインフレになる だろう。

実は、罠に陥っているのは賃金だけではない。不動産賃料も需給バ ランス程度の変動しか起きていない。これだけ建築費などが高騰し てきたにもかかわらず、ベースとなる実質賃料が上がってこない。 賃料も罠に陥ってしまっていると言わざるを得ない。

そもそも地代、人件費が上がらない社会で物価が上がること自体不 可能だ。それでも円安による輸入品の高騰が物価に与える影響は大 きいだろう。少子高齢化で人手不足にもかかわらず賃金、地代が上 がらない経済、それはスタグフレーションである。

前回の日本のインフレは、戦後、復興、高度経済成長を通じて、恒 常的な資材不足、資本不足、人材不足であった。しかしこの問題 を、この間の団塊の世代の「追いつけ追い越せ」の労働時間の頑張 りで克服してきた。

これから始まる、長期のインフレ均衡世界経済を、日本はどのよう なビジネスモデルで克服すべきか?

今年も一年ありがとうございました。世の中にはフリーランチはあ りません。フリーランチをなくすことこそ高度な民主主義の形成と 考えます。今後も引き続き様々なお考え、情報をいただければ幸い であります。

以上

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