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主筆:川津昌作
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資本主義社会の歴史的考察

〈2021年8月15日〉

遅ればせながら残暑お見舞い申し上げます。又コロナ禍で罹災され ておられる方々にお見舞い申し上げます。夏休み中にまたまた荒唐 無稽とおしかりを受けるであろう議論を展開したいと思います。

以前当ニュースレターで、信長・秀吉の戦国時代の成長エンジンが 略奪経済であり、やがて天下が平定された徳川の泰平時代になると 農業などの内生成長経済に変わった状況と、現在の資本主義社会で ある西側先進諸国(OECD)がグローバル経済が市場を略奪しつく し、占拠する市場がなくなった現状とを対比して議論したことがあ る。

そもそも西側先進諸国がなぜ資本主義を支持し、それに群がったの か?そして後進国がなぜ列をなして資本主義の先進諸国を追随した のか?それは資本主義が「成長」を約束し、参加する者たちに相当 な果実をもたらしたからである。

そしてこの成長こそが、グローバリゼーションによるすべての世界 市場を先進諸国の製品で独占する、言わば合法的な市場略奪経済で あった。しかし商品が行き渡り、ネットで世界中に西側のハイソ社 会の映像が配信されつくされ、略奪する市場がなくなった今低成長 時代に突入した。

エコノミストの多くは、「技術革新のダイナミズムがなくなった。」 とか、「ITにおける技術革新は社会に低成長をもたらす。」と言っ た議論に終始し、グローバル経済の略奪経済の終焉議論を展開する 様子はなかなか見られない。

織田信長・豊臣秀吉の戦国時代の略奪経済が終わり、秀吉による天 下平定が進む一方で成長の糧を失い社会が行き詰まり、社会の齟齬 はやがて関ケ原の天下分け目の最終決戦に突入していく。成長が期 待できなくなった不満は既得権益にしがみつく勢力と、それに不満 を持つ勢力の戦いを生み出したのであった。

そして徳川の天下泰平時代になると、戦略的に堅固な山城を捨て沖 積層である平地に生活の拠点を移行し、農業生産の振興を図り、社 会の大きな成長の源となした。この新たな成長エンジンを得て、実 際にそれまでの戦国時代に比べて江戸時代になり人口が増大し、社 会が大きく成長した。

実質的な鎖国制度を行い、徳川家一族による独裁幕藩体制を築き、 外生を遮断する内生的な社会を確立していった。農業を中心とした 内生産業に特化し、その成長は著しく社会の成長を支えたのであ る。

この天下分け目の関ケ原の戦いを、現在のグローバル経済でなされ ている、米中の新冷戦にたとえ、終焉を迎えた略奪経済の低成長性 と、独裁政権による社会主義国家の中国の高成長性との戦いと、対 比できたわけだ。

ここで主張したいことは、民主主義をベースとする資本主義が、独 裁的な社会主義の効率性に負けたことをではない。グローバリズム に名を変えた略奪経済主義による成長エンジンを回し続けた資本主 義は、おのずと限界を迎えること。

この成長エンジンを使い続けるなら、月、火星、宇宙空間と言う新 たなフロンティアが必要になる。それができないがために、低成長 に陥り、それをはた目に、新しい効率の良い独裁専制資本経済体制の中 国を登場させてしまったことである。

これを、マスコミが飛びついている自由なデモクラシーによるグロ ーバリゼーションVSポピュリズムによるナショナリズム、民主主 義VS共産主義への優劣勝敗と言う論壇にしてしまうと、社会で起 きている本質が見えてこないだろう。

資本主義経済の成長を二つに分けて考える必要がある。一つは技術 革新による全要素生産性の成長である。これをファンダメンタルズ な成長とすれば、もう一つの市場略奪による成長はプレミアムな成 長と言えよう。

このプレミアムな成長と、ファンダメンタルズの成長を区別せず、 合算して過去の成長を評価すると、今起きている低成長の原因を技 術革新の行き詰まり、格差によるポピュリズム・ナショナリズムの 台頭に求めてしまう。

では、日本の徳川一族による独裁藩政による再生産業振興はどのよ うなものであっただろうか?それまで山城が社会の中心的な拠点で あり、河川沿いの沖積層平野エリアは未開拓地であった。つまりゼ ロからの開発が行われて、農業を中心とした内生成長を実現した。 ゼロ型始まった成長のインパクトは大きかったに違いない。

これは今のグローバル社会においても可能だろう。グローバル経済 の重要な理論経済の一つが貿易の比較優位論であった。自由貿易を 実現し、最も効率性の優れた国がそれに特化してグローバル経済の 産業を担う。すべてのセクターにおいて最も優れた競争優位ある 国・都市・地域が独占的に担えば、世界全体の生産性が上がるとい う考えである。

しかしこれが行き過ぎると、最も競争優位ある一国、一つの地域、 一つの企業だけがすべてを得て、他がすべて敗者になってしまっ た。この敗者となり不毛の地となった地域から、内生的な成長を再 生すれば、それはゼロからのスタートと同じ効果が期待できるはず だ。

これはポピュリズムでもナショナリズムでもない。資本主義の再生 である。ただ懸念されることがある。この資本主義の再生が民主主 義の下ではできないのか?徳川家一族による独裁国家体制であった からできたのか?共産主義でなければならないのかという疑問であ る。

これを議論するには、現在の中国の経済の成長の特徴と江戸幕府の 成長の特徴をもう少し精査する必要がある。

中国の経済成長を担っている一つの要素に、技術革新があることは 事実である。最初は西側先進諸国から友好的に移転された技術では ないかと言われるが、今となれば中国の技術革新は西側諸国をしの ぐ力を持っていることは事実である。

中国では、電気自動車の絶対数が増え、電気自動車のバッテリーの 再生技術がビジネスになり始めている段階だ。日本ではまだガソリ ン車かハイブリット車かの選択レベルだ。技術の新化のレベルが違 う。しかし今の中国の成長はそれだけだろうか?

中国の今の成長にもやはりプレミアムな成長が存在している。その 中心的な戦略が「一帯一路」である。つまり外生的な市場獲得によ る成長である。このプレミアムな成長の貢献なくして、今の中国の 高いプレミアムな成長は語れないはずだ。

そもそもマルクス主義はマルクス・レーニン主義と言われるよう に、帝国主義を労働価値至上主義の成長を補うものとして理論的に 容認している。帝国主義による成長を社会主義は想定しているわけ だ。つまり一帯一路戦略は労働価値説の延長線上にあり、逆にそれ が行き詰まれば、中国の成長も行き詰る懸念があるわけだ。

もう一つの江戸幕藩体制も、確かに徳川一族による独裁体制であっ たことも事実である。しかし絶対主義による原始社会主義国家であ ったかと言うと必ずしもそれは断言できない。

そもそも民主主義は裕福な経済社会で成熟するのであった。資本主 義も過剰な余剰生産物があることがそもそもの前提条件である。余 剰を多く生まない前近代的な生産物の不足気味な社会体制ではなか なか成り立たない。当然江戸以前の日本においても、民主主義以前 の忠義・信義による社会ヒエラルキーが形成されていた。

一般に「江戸幕府」と言う言葉のインパクトは大きく、精度の高い 幕藩体制が家康の時代から確立していたようなイメージがある。し かし江戸幕府による中央官僚体制が確立するのは、江戸幕府後期に なる。家康が開いた江戸幕府開府当初は、豊織恩顧の家来が自治を 確立しており、まだまだ力の微妙な関係にあった。

参勤交代、国替え、改易などの政策を通じて、外様大名たちの力を そぎ、中央幕府の力を確立し始めるのは江戸中期以降である。そし て確立後も、地方大名の国替え、改易による任命権を誇示するにす ぎず、自治の制度においては、儒教の武家諸法度を中国南宋から輸 入し奨励する程度であった。

経済的に見れば、自治の象徴が通貨である。江戸幕府は地方大名に 藩札などの各々藩内の独自貨幣の流通をある程度認めていた。つま り独自の自治を幕府は認めていたことになる。

また最近のコロナウイルス禍で対比される、公衆衛生および災害特 に飢饉に対する中央政府としての施し(救難物資の提供)は極めて まれであり、危機の対処としては村、郷単位で自治が形成されてい たと考えられている。

又社会の治安も、五人組などに象徴される個人の関係性で、そのプ ライバシーをも制限されるコミュニティ制度が江戸時代以前より成 立しており、国家警察権力ではなく社会の末端でのコミュニティ制 度が機能していた。

特に江戸の天下泰平時代の中期以降は、成熟した長屋制度があっ た。長屋は大名などの副業収入の財源として存在し、その管理者は 職業大家であり、今の不動産管理業の形態をなし、しかもその管理 者が長屋の住民の戸籍を作成し、一部行政官の役割をなしていた。 当然村八分制度などもあり、自治自主権が社会の末端で確立してい たことが特徴として挙げられる。

このように見てくると、過度のグローバリズムの修正に必要な内生 的な再生成長が、社会主義的な独裁体制下でのみ行われるという考 えはあまりにも拙速すぎと言う結論に至る。

では、ポピュリズム・ナショナリズムと決めつけて排除するのでは なく、どのように過度の市場略奪資本主義を修正し、内生的な成長 の確立をするか?が次の議論の焦点となる。

資本主義の行き詰まりのもう一つの原因が格差である。格差の本質 は、資本主義経済が効率性を求めすぎたことにより、無駄として切 り捨ててきた社会問題の齟齬である。無駄なものを排除する手法が 差別問題である。性差別から民族差別、所得差別、世代差別など 様々な非効率で不要と考えてセクターをことごとく差別して排除し てきた。

この差別がやがて格差となり、この格差に対する社会的コストが膨 大になりだした。社会のほんの一部の勝者だけがその恩恵を独占 し、それによって膨大化する社会コストは残りの敗者で負担しなけ ればならない社会構造がまかり通ってしまった。これに対する対策 が、所得の再分配であるが、なかなか機能しないのが現実だ。

中世の宗教改革において、カルバン派の宗教改革派は、それまでの お金で贖罪を買う世俗ではなく、禁欲献身的な生活を求め、その結 果お金が蓄積することは正しいことであると考えた。そして、アメ リカ社会の祖と言われるフランクリン・ベンジャミンが唱えた道徳 論こそが、資本の蓄積の理論的な礎となった。

道徳を重んじ、禁欲、勤勉でない人たちに、援助を行うことは信条 的に受けられない。リーマンショックによる世界通貨危機において も、援助・債務削減を要求するラテン系の諸国に対して、ドイツな どの債権国との対立は起こるべきして起きたものであったろう。所 得の再配分だけで、格差の是正には限界があることは明らかであ る。

格差を生み続ける資本主義に問題の本質を求める必要がある。最近 「ニュートラル」と言う新しい概念が、世界の論壇で広まり始めて いる。代表的なものが地球規模の気候変動の対策として登場した 「カーボンニュートラル」である。

カーボンニュートラルは、吸収できる二酸化炭素排出量以上に排出 をしないという考えだ。このニュートラル=中立と言う考えが台頭 し始めた。EU域内で行われているCO2削減対策に満たない基準で 作られたエネルギー、鉄鋼資材などに炭素税を課す考えも、地域内 の中立を守る考え方だ。 地域内で実現した収益を、他の地域の移転する場合は、その利益実 現に要した公共コストを税として課す越境税も、地域内で中立を完 結させる考え方だ。

自由な貿易は支持する。自由に財物、人、金が流通することはこれ までと同様に奨励する。しかし機会、収益、コストの中立性を地 域・国ごとに確保する考え方である。

大規模地球気候変動に対する話し合いの場である政府間パネルで は、新進国と後進国との間で話し合いがつかない状況になってい る。かといって自由な交流貿易を止めてしまってはデメリットが大 きすぎる。閉鎖、保護貿易ではなく「中立な均衡」を見出そうとい う考えだ。

まだ海のものとも山のものともわからない概念であるが、過度なグ ローバリズムに対する歯止めになると期待されている概念である。 ただこれにも問題がある。何らかの「中立な均衡」が見出されたと しても、これに全員参加しなくては意味がない。

参加せずに恩恵だけ得ようとする輩(フリーランチ)が多くいる と、市場および社会は均衡しない。コロナ禍対策のワクチンは8割以上 が接種しなくては、7割では集団免疫はできない。このワクチンの 接種率は、現状を見てみると先進西側諸国においては5割程度で、 まず最初の普及の壁にぶつかるようだ。

参考にはならないが、コロナ禍になる以前の、インフルエンザのワ クチンのある接種率の調査推定データを見てみると、全体で 32.6%。65歳以上が54.8%、13-65歳が23.3%、6-13歳23.3%、 1-6歳48.3%、1歳未満23.5%である。コロナウイルスも、いった ん集団免疫ができてしまえば、このような常態になるのだろう。 (三浦宜彦 インフルエンザワクチンの需要に関する研究より)

公衆衛生への参加の問題は、直接的な参加意欲以外に制度の問題も 当然ある。その一般的に考えられているのは、中国などの独裁社会 主義国家の方が、ワクチン効果が十分に実効性あるものであれば、 接種率が高くなるだろうというイメージがある。

逆に民主主義国家では、信条的な理由、体質的な理由、社会的な理 由などから公衆衛生への参加を拒絶する人がいても、強制ができな いと考えられている。しかし結果的に集団免疫ができず、コロナ禍 を治めることができず、多くの死人を出すことになれば、そこには 民主主義と独裁社会主義との優劣差の議論になってしまう。

自由な民主主義を堅持することが重要であるが、一方で集団免疫を 実現する手法も重要である。これこそが今、社会から従来の民主主 義社会に突き付けられている課題であり、民主主義にたいする進化 の要求ではないだろうか?

「中立」な社会で、皆がそれに参加することによって生まれる「均 衡」が、結果的に地球温暖化対策、公衆衛生、様々な社会問題の解 決に大きな便益をもたらす。このような「中立な均衡」が民主主義 下で効率よく作られる新たな社会デザインが求められるのではない だろうか?

そしてデータがなくては、ワクチンは作れない。データを独占的に 握ったものが市場で優位に立つ。従来の資本主義は、資本力にモノ を言わせて市場を支配した。お金がデータにとってかわることも明 らかである。

資本主義が変わる。そしてデジタル化が遅れた国は、新たな資本主 義に乗り遅れる。

資本主義の史的理論をもっと勉強する必要がある。

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