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主筆:川津昌作
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「寛容」と「尊敬」

〈2021年1月20日〉

明けましておめでとうございます。年初来の出来事で一番に気にな ったのは米金利の上昇である。まるでこれまでの「異常な常態」か ら本来の「新常態」に戻ろうとしているかのような感覚である。市 場は必死になってポストコロナ禍を探そうとしている。現在の無限 クレジット市場の次に来る修復・リカバリー景気もいいが、まずそ の前にコロナ禍を乗り越えなくてはならない。

さて、表題の件、新年から小難しい概念論を取り上げたい。これは 昨年の年度末のある英字紙に掲載された小さなコラムの引用であ る。内容は“tolerance(寛容)”と“respect(尊敬)”の新常態の 話である。

日本でも最近「寛容」「不寛容」という言葉が急増して、ある意味 新しい社会記号にもなりつつもある。しかし言語明瞭意味不明瞭の 感がある。この寛容の時代背景の変遷は、そのまま社会の本質の変 遷を表し、それだけでも新書が一冊かけるくらいの内容がある。

ファイナンスの有識者は“リスクトレランス”という言葉を使うこ とがある。私どもは「リスク耐性」と訳すことが多かった。リスク 耐性とはリスクにどれだけ寛容でいられるかを示す言葉であり、リ スクの許容度を意味し、そこからどれ程のリスクに耐性力があるか という使われ方をする。

実例を挙げれば、国際BIS規制では国際業務を行う銀行は総資産 (融資額)の8%の資本金を用意する必要があると定められてい る。つまり資本金の12.5倍のレバレッジのクレジット創出しか できず、リスク資産を受け入られる許容度つまり寛容が規制されて いるわけだ。

このファイナンスの用語からも理解されるように、寛容は、ファイ ナンスで言えばリスクを受け入られる、許容できるリスク量であ り、当然そこには「限度」という概念があり、限度を超えると破綻 する。ファイナンスの世界では、破綻が生じる度にこの「限度」の 適正が議論の焦点となってきた。

世界の銀行ファイナンスの舞台に君臨する憲法、国際決算銀行BIS のバーゼル規制は、まさにこの資本準備限度額の議論の歴史そのも のであった。バブルが破綻するたびに厳しいバーゼル規制がレベル アップしてきた。

これを人の寛容行動で考えると、受け入れ難きを許容して受け入れ るが、当然限度があり、限度を越せば寛容ではいられなくなる。堪 忍袋の緒が切れると、その後は拒絶し、必要に応じて攻撃して自分 を守る行動にでることもある。つまり寛容という言葉を使った時点 で、限度が必然的に存在するのが本来の寛容概念であると私は考え てきた。

しかし。最近の市井の寛容の用法を見ていると「不寛容」を非難す る有識者が多くいる。寛容に対して限度を提示することなく、無限 寛容が当然のごとく要求されているようにすら感じられる。寛容に は必ず限度があるはずである。

寛容か?不寛容か?の議論は、その限度が社会に適合しているかど うかの議論であるべきである。限度を設定せず、寛容でないことを 非難するのは無限寛容を要求しているに等しい。ありえないと私ど もは考える。同様に無限クレジット市場もあり得ない。

さて引用の英字紙では、この寛容と尊敬の考えが新常態になってい るという意見である。寛容とは従来“willingness to accept”訳 せば「受け入れる意思」であった。これが大移民時代になりカルチ ャー、信条、人の融合が起きている現在は、違った信条、違ったカ ルチャーを受け入れないことを禁止する“restraining of unacceptable”となってきたとしている。

同じように尊敬:リスペクトは、従来、何らかの自分より優れてい る対象“one?s superiors”に尊敬する行為がなされていた。そし て尊敬をすることで価値が出てくるからでもある。しかし当然そこ には格差を容認する時代背景があった。

しかし現代の時代背景は、格差ではなく平等社会“egalitarian societies”である。すべての個人の尊厳は平等でなくてはならな い。そこではリスペクトの対象は格差のステータスではなく、たと え人と違っていようともそれぞれ個々人の人間性、尊厳である。そ れがトランスジェンダーであたり、異なる宗教、異なる文化を持つ 人を平等に認める、尊敬することである。

このコラムの結論は「平等」であることを受け入れる寛容と、平等 に個々の人間性を尊敬する時代であるという主張であるわけだ。

このコラムから考えることは、従来、異なる民族、異なる宗教、異 なる文化には、国境など何らかの社会的ディスタンスがあったはず である。距離が保たれていたはずだ。それが時に接触すると当然戦 争などの軋轢が生じていた。これが今までの歴史である。

しかし、世界中の人口が増加し、かつグローバルスタンダードによ りあらゆる文明、信条、民族が融合し始めた。その結果生まれた新 常態が求めるトレランスとリスペクトも変わってくるわけだ。

融合し始めたのは人間社会の文化、民族、信条だけではない。あら ゆる生物が地球上であふれ、ディスタンスを失い、干渉し始め出し た。寛容できない歴史では、弱肉強食のメカニズムで他を駆逐して 存続をしようとした。それができなくなった今、結果的に、本来寛 容できない耐性のないウイルスを受け入れなくなっていると説明で きるわけだ。

このコラムの主張に従えば、従来のように寛容に限度を設けて、駆 逐するか?個々の生態の平等を尊敬してウイルスを受けいれるか? という選択になるわけだ。私個人の見解としては、後者は簡単な話 ではないと考えるが・・・。それが今の状態なのだろう。

英字紙では、昨年のことをLOST YEARという言葉を使っていた。今 年は「失われた年」にならないことを祈念して、筆はじめとさせて いただきます。

参考資料 The Guardian weekly Vol2041
“It is vital to keep a distinction between tolerance and respect”

      

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