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自由の代償

〈2019年10月1日〉

科学誌ネーチャーのブリーフィングニュースに中国の世界最大級の 直径500mの電波望遠鏡が世界中の天文学者に公開されるというニ ュースが掲載されていた。ちょうどおりしも日本でも中華人民共和 国のSF作家劉慈欣の長編SF小説「三体」が翻訳されている。タイ ミング的にもすごい戦略だね。

ヨーロッパの中世から近世の転換点をナポレオン戦争終結、フラン ス革命その後のウイン会議とするなら、その当時制定されたフラン ス国旗の主張も、ある意味時代の転換期を象徴するものであり、そ の後の西側諸国をけん引してきたイデオロギー「自由」そのもので あったと言ってもよかろう。

フランス国旗は自由、平等、友愛を表した三色旗である。以来現代 にいたるに、特にフランスの主張は、平等な人権に基づく自由の堅 持である。しかしそのフランスが、2015年11月に表現の自由に起 因してパリ中心部で同時多発テロを受けた。パリ市民が、自由に表 現に対する代償として攻撃にさらされたのである。

もし、中世以来のカソリックの権威に対抗して標榜する自由こそが フランスの国家的な精神であるとするなら、その一方でフランスは 中世以来からの騒じょう戦禍の中心にあり、常に国土が蹂躙され、 100戦100敗と揶揄されるのもフランスの象徴である。自由を標榜 するフランスは、また一方で常に様々な騒じょう、衝突、矛盾のリ スクに曝され(エクスポージャー)て来たことになる。

処変わって、イタリアでは従来からマフィア対策として一般市民の 電話の盗聴を行ってきた。これは明らかに自由の制限である。マフ ィア関連の様々なリスクに市民が曝されることを防ぐために、ある 程度自由を制限する仕組みを受け入れてきた国である。

またイギリスも政府による盗聴を是認してきた国である。日本でも 時々話題になるアメリカとイギリスで運用されている世界中でなさ れていると言われている盗聴網エシュロンである。

ヨーロッパの中でも、比較的テロのリスクを高めていたイギリスが 容認した盗聴システムである。一般市民の盗聴という自由の制限を してでも、テロに対するリスクを抑え込もうとする姿勢の表れであ る。イギリス国民もそれを容認しているわけだ。

アメリカはどうだろう。21世紀になり9.11同時多発テロが起きる など多くなっては来ている。がテロが多いといえるかどうかは人に よってまちまちだろう。もちろんアメリカは合法・非合法な監視社 会である。アメリカの有名なTVドラマ「パーソン・オヴ・インタ レスト」があるように、現実に自由の表現と抱き合わせで監視社会 を受け入れてきている。

冒頭の2015年に起きたフランスのテロでは、「シャルリ・エブド」 という雑誌が、表現の自由に基づき様々なセクターを揶揄する風刺 画は発行してきた。これに対して揶揄された特定のセクターがこの 雑誌社に対してテロを起こしたとされている。

このテロ直後、マクロン大統領はじめフランスを代表する各界の人 が手を取り合ってパリ中心部を行進して、「私はシャルリ」という プラカードを掲げ、テロに立ち向かいテロに負けず自由を堅持する 姿勢を内外に示した。フランスの自由に対する気概を示したのであ る。

この様にリアル社会では昔から、自由には常に代償が伴い、国家政 策もある意味トレードオフの関係になっている。国がそのおかれた 立場によって、自由と代償のどっちに重きを置き、どこに国家政策 の基準を置くかを独自に設定している。重要なことは、自由は確か に心地よく、だれでもが堅持したいものではあるが、決してフリー ランチではないということだ。

では、自由とエクスポージャーがトレードオフの関係にあるのであ れば、日本はどのようなところにポジションを置いているのだろう か?

まず江戸時代は、徹底した堅固な中央官僚制であったとすると、社 会現場での自由な表現等はかなり控えられた社会システムであった と考えられる。その後の維新時代は新しいものが芽生える時代で、 維新を革命と同じくらいのエネルギーと考えると、かなりの表現の 自由があったと考えられる。戦争期は当然表現の自由に対する制限 が容認されていたはずだ。

そして今はどうだろうか、世界との比較ではなく単純に、有りがち な所属する会社組織で言いたいことばかり言っていると居場所をな くす文化である。このことから察するに、積極的な自由な表現よ り、「和をもって貴し」とするリスクマネイジメントを選好した社 会であると言ってもいいのではないだろうか。

しかし昨今、ネット社会が進み、匿名による表現の自由(無秩 序?)が可能となり、顕名による表現の自由の制限と匿名による表 現の自由のギャップが生じてきている。従来のような「和」と引き 換えに「表現の自由」を制限するだけでは満足しなくなりだした。 そしてこの齟齬が様々なところで社会問題化し始めている。

その一方で、リスクエクスポージャーに対する備えは従来通りであ る。もし2015年のパリのようなリスクが生じたときに、それでも 表現の自由を堅持してリスクに立ち向かうだけの気概が日本全体と して共有されているか?と言われれば、やはり監視社会にすべきだ という意見が大勢を占めるのではないだろうかと懸念する。

日本でも自由を標榜する人たちはもちろんその気概があるはずだ。 そこに何ら疑いはない。しかし日本の歴史を見ると、イギリス型の 監視国家に近いものがある。今の大きな変動期に、日本も今一度自 由とリスクエクスポージャーのポジションを確認する必要があるだ ろう。

以上

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