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豊田佐吉のご帰還・トヨタ産業技術記念館

〈2017年 8月 25日〉

今年の春、名古屋市西区の江西小学校と那古野小学校と幅下小学校 3校が統合し、なごや小学校になった。場所は旧幅下小学校である。 この小学校の統廃合に伴い、旧江西小学校にあったトヨタグループ の創始者・豊田佐吉の胸像がこの度、名鉄栄生(さこう)駅徒歩3 分にあるトヨタ産業技術記念館に移設された。

豊田佐吉の彫像は、佐吉が生まれた湖西市など幾多があるが、この 胸像は名古屋市の資料によると佐吉(没1930年)の妻浅子が1 935年に作成し、戦後江西小学校に移設されたものである。産業 技術記念館のエントランスホールの正面に鎮座し、何を思うか誠に 健やかな笑顔をしている。

豊田佐吉は1910年のアメリカ視察後、当時の栄生(さこ)村、 現在の名古屋市西区則武新町4丁目に豊田佐吉の織機技術の粋を集 めた豊田自動織布の主力工場を栄生の地に建てた。これがのちの豊 田自動織機であり現在のトヨタグループの隆盛の礎となった。この 栄生工場の跡地が現在のトヨタ産業技術記念館(1994年開設) である。

筆者の祖父が「今日はエイボウが来とる」とよく言っていたそうだ。 そう、エイボウとはトヨタ中興の祖と言われる豊田英二(1913 年生)氏のことである。様々な史料によると英二は佐吉の子で叔父 にあたる豊田喜一郎の薫陶を受けた一面が強調されているが、実際 佐吉と英二の間には17年間の接点があるわけだ。

当時の街並みは、高層建築もなく、垣根も低く隣接する家の中から 工場の有様もうかがえたわけだ。戦争当時、空襲でこの工場に延焼 が及んではいけないとして、工場周囲の住宅をすべて取り壊して、 地域ぐるみで守った工場でもある。筆者の実家も実はその時に壊し ている。

豊田佐吉は、この時期住居をもこの栄生工場内に移し、寝食を共に していたという。そして豊田の親族も栄生周辺の共住していた。豊 田英二氏も幼少時に栄生周辺(今の榎学区か?)に住んでおり、よ く栄生工場に来ていたわけだ。おそらく一番脂の乗り切った佐吉の ものづくりの姿を幼少ながら見ていたのだろう。

栄生工場の跡地の現在のトヨタ産業技術記念館は、この豊田英二氏 の肝いりで作られたものである。開設の1994年と言えばバブル 経済の終焉であるが、まだまだ景気が良かった時期である。そのこ けら落としに今の天皇陛下の行幸をいただいた。当時民間のこけら 落としに天皇陛下が行幸された初めての出来事であった。

周辺にある弊社の建物も1週前から物々しい警備が行われた中、筆 者も車中から天皇陛下・妃殿下がお手を振る姿を拝することができ た。その先には産業技術館の入り口で英二氏が先頭に立って、腰を 深くおり陛下をお迎えする姿があった。

その後も、産業技術記念館の敷地内に豊田英二氏の思いを込めた将 来を託す基礎研究所を開設するなど、英二氏の思いの深い事業所で もあったわけだ。その地にグループ創始者佐吉の妻浅子の作の豊田 佐吉の胸像が収まったことになる。

このトヨタ産業技術館にまだ行かれたことのない方はぜひ行くべき である。モノづくりに携わる人は釈迦に説法かもしれないが、モノ づくりの進化には、技術革新と言うショッキングのイメージだけで は表せない、壮大なロマンを感じることができる。

自動織機は、いわゆる鶴の恩返しに出てくる人がカタン、カタンと 織る機織り機に動力を備えたものである。機織りは縦糸の間に横糸 を差し入れて縦糸を交差して布地にする。この横糸を、機織り機で は人の手で右から左へ通し縦糸を交差し、今度は逆に左から右へと 渡し縦糸を交差する。

自動織機の技術はいかに早く、糸切れせず横糸を正確に左右を行き 来し、縦糸を交差させるかにある。横糸を木の棒に括り付けて渡す。 この渡す器具をシャトルと言う。今ではシャトルと言えば流線型の 行き来しやすい形を簡単にイメージするが、最初は、人が操る機織 り機の横糸が括り付けてある木は、単なる木辺であったろう。

しかし、より早く横糸を渡すために、木の角が取れて引っかかりに くく滑りやすい形状になっていき、やがて流線型になったのだろう。 しかしそこに至るには機織り機をあやつる人たちの永年の改善が想 像できる。

やがて、横糸はシャトルではなく、水を飛ばし、その水に糸の先端 をつけて左右に渡すようになる。このような技術革新はまさに当時 の人達の改善の積み重ねであるわけだ。モノづくりの人たちが改善 に託す夢はロマン以外の何物でもない。

戦後の高度経済成長時代、愛知県の一宮から尾西、岐阜にかけての アパレル産業地帯には「ガチャマン景気」と言う言葉があった。ガ チャンとは機織り機の音である。一回ガチャンと機を織ると万円が 儲かった時代がその先にあったわけだ。

イギリスの産業革命は、今の時代から遠視すると突然技術革新が開 花したような革命であるが、当時の永年の改善の積み重ねがやがて 技術の特異点に達し景色一変したものだったはずだ。現在の資料で はスコットランドやマンチェスターの華やかな発明家が産業革命を 起こしたとされているが、彼らの多くは熟練の修理工であったとも いわれる。

このモノづくりの進化による景色が一変するに至るまでに、人々は 何をもって改善を重ねたのだろうか?まさにロマンを感じる。産業 技術館にはそんな系譜が、素人でもわかるように自動織機の進化で 展示してある。

そんなモノづくりのロマンを展示してある、トヨタ産業技術館のエ ントランスに鎮座した佐吉の胸像には、モノづくりの先にある夢を 見ていたような佐吉の笑顔が見て取れる。おかえりなさいと言いた い。

以上

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