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主宰:川津商事株式会社
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日本の企業の内部留保金問題

〈2017年 7月 20日〉

東京都心のマンション開発が早くも回復しだしたという報道がなさ れている。恐るべし東京。その一方で大都市都心部での過剰融資ビ ジネスによる賃貸マンションの過剰供給が、市場に大きな負担を強 い始めている。金融緩和の功罪である。

かつての日本企業は意味もなく不動産を多く抱えていた。それは持 っているだけで価値が上がる時代であったからだ。しかしそれがな くなり余分な不動産を持たなくなった。

その分資産が軽くなったが、それと並行して内部留保金の蓄積が始 まった。結果を見れば結局どちらも宝のもちぐさりの感がする。ど ちらにも共通することは、リスクを取りにいかない事。それが日本 的経営でもある。

現在、企業法人統計によると日本の企業の内部留保金は350兆円超 となっている。東証株式の時価総額が1980年末のバブル経済で400 兆円半ば、1990年代末のデフレ経済のどん底で200兆円強、そして 現在600兆円規模であることから比べても巨額な金融セクターとな ってしまっている。

その一方で1980年以来アメリカ・ドイツなど欧米諸国に比べて日 本だけが一貫して企業収益率を落とし続けている。これに対して経 済の低成長を改善するのが、アベノミクスの船長戦略であり、異次 元の金融緩和である。そこで企業の内部留保に対する考え方が問題 になるわけだ。

ここへきて、連日経済新聞が異次元の金融緩和の出口を話題に取り あげ始めた。リアル資産市場に身を置く者からすると、結局同じこ との繰り返しかと言うことになる。出口のタイミングは東京都心部 の資産価格の高騰による金融緩和の限界である。

結局緩和した金融が、市場の末端、地方の末端、そして最も強く目 指した賃金の上昇にまでは至らなかったわけだ。今後賃金の上昇が 時間をかけて生じるかもしれないが、そのころには逆効果になって しまっているかもしれない。毎度おなじみ経済政策とバブルの終焉 の風景だ。

今回の壮大な異次元の金融緩和の検証がなされる中で、やはり関心 があるのはどうして賃金が上がらなかったのか?と言う点である。 経済新聞の経済教室などでもやはりこの点が論点となっている。

商品市場がコモディティー化によってデフレ経済から脱しきれない のと同様に、労働市場が非正規、短期契約社員などの制度により、 労働がコモディティー化してしまい、賃金市場が硬直化してしまっ たというのが一般的な理論的解釈である。

内部留保金は企業に蓄積された余剰金である。その根源はもうけで あるから、その用途は本来株主への還元か将来収益への投資になる。 将来への投資がなされずに放置されているのであれば株主に還元さ れなくてはならない。

もう一つ、儲けの株主への配当はあっても、従業員への配当は賞与 以外には本来ない。したがって正社員以外の非正規雇用には恩恵が ない。しかし本来正規社員への還元なされるものが、非正規雇用を 増やせばその還元もする必要がないわけだ。

いずれにしても350兆円超となった巨額の金融セクターの対する説 明責任論が出てくるわけだ。

今回は、論文「わが国企業の低収益性の制度的背景について」をも とに内部留保問題について制度論的なアプローチを議論したい。こ の論文は元日銀役員が書いたものだ。通常日本企業の低収益性と巨 額の内部留保金の関係に関する研究は、ファイナンスの分野で行わ れるが、この論文はむしろ制度論からアプローチしている点が面白 い。

制度論とは簡単にいえば法制度である。企業がデフォルトの危機に 直面した場合、潰してしまうのではなく再生して、再び社会に貢献 することが今のニーズである。それにともない日本でも再生ニーズ を拡大解釈して会社更生法だけでなく、民事再生法の運用が多様化 している。

特に弁護士、裁判官など、制度面で企業再生に関与される方は、な かなかファイナンスからアプローチする企業内部留保の考え方に接 する機会がないはずである。ファイナンスからだけでなく制度論か らもアプローチを試みているこの論文は是非一読される価値がある と考える。

誤解のないように企業所有の大前提を整理しておく。企業は誰のも のかと言う議論は、アメリカでは企業は明らかにお金を出した株主 のものと言う絶対的な考えだ。そこに株主による企業統治が成り立 っている。

日本の企業はすべての利害関係者(従業員その他を含めて)のもの と言う主張が通っている。もちろん日本的経営のメリットもあるが その結果がガバナンスの不明確である。日本の企業不祥事のほとん どはこのガバナンスの低さに起因してい る。

議論が飛ばないように話を戻そう。論文の中では、いろんな制度、 ビジネス環境から内部留保金が過剰に積みあがる仮説が立てられて いる。その一つが日本の企業は、制度的、慣習的な制約があり海外 からの敵対的買収されにくいため、その分安易に内部留保金を積み 上げることが可能となる。

制度的な再生となった時にやりやすくするための準備として、内部 留保金を積み上げるという制度論からの仮説がある。これは司法の 実務から、業績を悪くした企業を早い段階で整理をするためには、 そのための準備金が必要であるという要求から来たものである。

業績が悪いにもかかわらず存在し続けているゾンビ企業の存在こそ が日本の低成長の原因と考えれば、この司法実務からのニーズもあ る程度は容認されなくてはならない。

しかし、企業の所有、ガバナンスの責務が株主にあるという企業の 根源的な議論からスタートすると、司法が再生のスキームとして株 主価値の棄損を要求する以上、将来投資として株主配当をあきらめ た留保金を株主が手放すことは到底株主の理解が得られない。

ただこの論文から理解できることは、元々日本の内部留保金の積み 上げは、日本的な経営者のリスク回避志向として積みあがった要素 が強い。それ自体はある意味アンチグローバル経済と言える。しか し様々な圧力でこの内部留保金を有効に使おうとすると、必ずステ レオタイプの海外のM&Aになってしまう。その先が失敗による損失 である。

最近の例では日本郵便の失敗である。日本郵便は今回の海外M&Aの 失敗を理由に引きこもってしまい、おそらくまた意味のない内部留 保金の蓄積に向かうことになろう。

この内部留保金の賢い使い道が、海外のM&Aしかないという経営者 の発想こそ、明らかにグローバリゼーションのガラパゴス化である。 国内の非正規労働者の賃金に将来投資として反映させていれば、ま た違った消費拡大経済が期待できたわけだが、それはできなかった。 それはアンチ・グローバリズム(ポピュリズム)になるからだ。

ここで弊社の大胆な仮説を立ててみる。内部留保金を積み上げてし まったのは日本的な発想であるが、内部留保金を国内の労働者に投 資(賃金)しせず、かたくなに海外M&Aにしか運用しなのは、明ら かにグローバリゼーションのガラパゴス化のなせる業である。弊社 はグローバリゼーションを支持するが、ガラパゴス化は否定する。

以上

企業内部留保企業統治ステークホルダーグローバリゼーション